昔に比べて文章を書くことが億劫になってきたのはなぜか
昔よく使っていたmixiを久しぶりに開いてみました。
学生の頃はSNSといったらmixiで、何かにつけてコメントを書いたり日記を書いたりしていたものです。大体週一ペースで日記を書いてたぐらいの勢い。
最後の更新が5年ぐらいで止まってるので、若々しい頃の自分がどんなことを考えながら日々を過ごしていたかを振り返るよい機会でした。
(余談ですがこの楽しさがあるのでわたしはどんなSNSも退会できずにいます)
若すぎて恥ずかしくなるような内容がほとんどですが、
我ながらいい事を書いてるなと思ったり、いい表現を使うなと感心したり自画自賛しております。
この頃は寝る間も惜しんで2時間も3時間もかけてよく日記を書いていたものです。
時は流れて現在、mixiの凋落もさることながら、月一のブログ更新すら億劫になってきている自分がいる。
あの頃は時間をかけて文章をしたためることに何の抵抗もなかったのに、気づけば簡単な読書レビューさえ書くのをめんどくさがるようになってしまった。
なぜか?
良い機会なので考えてみました。
1.忙しくなった
一番ベタな理由ですね。学生時代は時間が無限にありましたし、夜中までかけて文章を書くことに何の抵抗もありませんでした。
今は会社もありますし、次の日のことを考えると夜遅くまでパソコンに向かっているのも避けたい。
そんなこんなで気づけば文章から離れていた、というのが理由の一つ。
2.読む人が減った
当ブログの方針として、いわゆる現実世界の友人とは一切切り離して運営しています。
読まれるのが恥ずかしいというのもありますが、自力でどこまでいけるかというのを試したいというのが大きい。
しかしそのため普段の読者は激減し、ましてコメントでじゃれ合うようなことも滅多にありません。
文章をUPする上で重要な承認欲求が満たされにくくなり、モチベーションの維持が大変です。というのが2つ目の理由。
3.変に目が肥えた
昔に比べて毎日たくさんの洗練された記事を読むようになりました。いい刺激を受ける一方で妙に目が肥えてきたので、自分の書く記事の内容に全然満足できなくなりました。
むしろmixiをダラダラ書いてた頃のほうがいいこと書いてたな・・・とか思う。笑
なのでUPしようと思う前に、自分の記事の存在価値を考えなおして結局書くのをやめてしまうというパターンが多い。
しかしなんとか続けたいと思うのはなぜか
上記の理由で楽しくもないし儲からないし人のためにもならないのにブログを続けたいと思うのはなぜか。
それはひとえに楽しんだ上で人のためになる記事を上げ、自分の糧にしている先輩の存在が大きいのではないかと考えております
(ちなみにその人がブログで儲けてるかどうかは知りません)
使い古された表現ですが、人間はインプットもさることながら、アウトプットすることで自身の能力を高めていきます。
そのアウトプットの場としてのブログは残しておきたいし、ここから何かしらの形で発信していきたいという想いはいつもあります。
話は逸れますが、わたしは結構カメラが好きです。
(ガチの写真好きの方からしたら叩かれるレベルなので詳細は割愛しますが)
ある日、昨今のカメラ女子ブーム(?)もあり、デジイチに突然手を出した友人がいました。
露出やF値の意味もわからぬまま、Facebookにピントのずれた写真を上げまくる彼を見て最初は鼻で笑っていたのですが
続けているうちにUPされる写真が少しずつ洗練されていき、僕でもいい写真だなと思うものがどんどん出てきました。
彼は今プロのカメラマンとして働いています。
そんな風に、最初はくだらないと思われる内容でも、試行錯誤しながらアウトプットを続けていればそれなりに人様の心に残るものが書けるのでは、と胸に期待を抱きながら、しかし過度な期待もせずにこれからも細々と続けていきたいですね。